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幻のたばこ屋地図
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昭和32年四谷駅周辺
青い丸はたばこ屋

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テクニック&ポイント
この地図は手書きです。建物が立体に見えるように、北西から光が入ったときにできる影をつけている。公園や道路にはつけていない。錯覚を利用した工夫である。コンピューターでやれば、簡単に影をつけることはできるが、機械的な影しかできないので、現在はもう取り入れていない。

都市の急成長に追いつかなかった
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昭和32年(1957年)。この年に、森下さんたちが作った東京の地図は、通称「たばこ屋地図」と呼ばれている。(地図上の●マークが、たばこ屋さんがあった場所を示している。)
自動販売機のない時代。街角にたたずむたばこ屋さんは、コンビニみたいに便利な存在だった。でも、なぜ、この地図が「たばこ屋地図」と呼ばれたのか。理由は簡単、たばこ屋さんに置く地図、だからだ。しかし、今回お見せした地図は、実際に使われることはなかった。その理由は?

当時の地図を見ると、敗戦から10数年たったころの東京の風景が浮かんできます。たとえば、麹町付近。現在は国立劇場や最高裁判所となっている隼町一帯は、まだ米軍に接収されたまま、住宅(パレスハイツ)として使用されていました。
同じように、現在は衆・参議員議長の公邸となっている永田町2丁目はジェファーソンハイツと記されています。そして、現在は迎賓館として使われている赤坂離宮が、一時期、国会図書館として使われていたというようなことも、この地図を見るとわかります。経済復興が進行する様子が地図からもうかがい知れて、トラックやブルドーザーの音が聞こえてきそうではありませんか。

ところで、この「たばこ屋地図」を発案したのは原田英一さんです。僕が勤めていた日本地図研究所の所長だった人です。彼は、従来の地図の概念を超えて、目的別に必要な情報を入れた地図を作ろうと考えました。町を歩くなら、それなりの発想の地図がふさわしいと、いわば「ぴあMAP」のようなものを発案したわけです。たしかに、見知らぬ町を歩くのに、等高線の入った地図は必要ありません。道路や公園や大きな建物の名前など、目印になるようなものが記載された地図が役に立ちます。
当時は、たばこ屋さんで道を尋ねたものでした。横丁のたばこ屋さんは、古くからその場所にありましたから、界隈を知っているわけです。そのうえで地域の詳しい地図があれば、道を尋ねるのにも、教えるのにも便利なのでは、と原田さんは考えたのだろうと思います。

この地域の地図を作るのに、およそ1カ月かかりました。基本地図(地形図)をもとに、現地調査をしながら、何度も付け合わせて作ります。ところが、当時はビルの新築ラッシュ。それに、高速道路がかかったり、地下鉄が新設されたりと、町の状況が激変していきます。東京23区の地図を揃えようというのが原田さんの計画でしたが、地図の製作が町の変化に追いつきません。手書きですから、パソコン地図と違い、修正がききません。銀座や青山など、何カ所もつくりましたが、地図に入れるべき情報がどんどん変わっていくので、出来たときには町の様子が変わっている。結局、市販されることなく、「たばこ屋地図」は幻となってしまったのでした。
構成 三代川律子[フリーライター]


昭和32年度版 地研東京精図「麹町」
全体図 File Size "776k"

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